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格差社会が叫ばれているが、根本原因は何かということについては、これというものがなく、はっきりしないというのが正直なところであろう。
諸説あるが、どれも間違いではない。しかし、いずれの説も正解ではないから、解決策が見当たらないジレンマに陥っている。
私は、こう考える。人間は、動物である。動物の世界は弱肉強食である。したがって、格差が生じるのは当然のことなのである。では、何が問題かというと、弱者を救済しなければならないという倫理感のジレンマに陥っているだけであろう。これまでの世界は民族、宗教、の違いにより戦いが起こり敗者=弱者は排除されていた。争いにより一定の秩序が保たれていた。
しかし、ここ半世紀は世界的な戦いは生じていない。むしろ、世界は価値観を共有すべきという間違った考えを持ち始めた。これは、動物の世界で言えば動物園に閉じ込められた状態みたいなものである。閉じ込められた状態に長年置かれると窮屈になる。しかも、闘争は倫理的に禁じられる。すると良い餌を求めて経済的に裕福なものが優位に立つという価値観が生まれる。これが格差なのである。しかし、弱者が淘汰されないということは、人口密度が高くなり窮屈になるばかりである。これが、閉塞感につながっている。
しかるに、各国のリーダー的強者は、いよいよ弱者を排除するために争いを選択するようになってきた。物事はいたって単純で、火山や地震と同じでエネルギーが溜まりにたまって爆発寸前の状態なのである。小さな衝突を起爆剤に大爆発してもおかしくなく、大爆発が起きない限り秩序は維持できない。
ここらでエネルギーを開放しないと、人類が膨れ上がって地球環境が侵され地球自体が危機に陥る。
格差社会を解決する手段は破壊以外にないということである。それ以外の解決策を求めても無駄である。
顕著な例として、スポーツの世界でみられる野球選手の戦力外通告、大相撲のモンゴル人力士の台頭や、政治家の数の原理である。敗者には酷とも思われることが平然と行われている。格差は人間が動物であるということから至極当然のことである。敗者を積極的に排除するか、消極的に排除するかの違いである。
そろそろ、積極的に排除するときがきたのであろう。

# by katze210 | 2018-01-07 10:18 | たわごと

搾取封建的民主主義

現代社会の状態を何と命名するべきか、平成もまもなく終わるので少し考えてみた。
歴史と中世と照らし合わせてみればその名が浮かんだ。基本的に中世の封建社会と大差ないということである。違うのは、海外由来の民主主義という言葉が加わった程度である。この民主主義も積極的民主主義と言うよりは消極的民主主義と言ったほうが良い。民衆が騒がない程度の民主主義と考えればわかりやすいだろう。では、今の社会が中世の封建社会とどう対比できるかを見ていく。
中世では身分制度が存在し、武士-農民ー工民ー商人ーえた、非人、と上下が分けられていた。下から上へと上納が義務付けられ、下のものは搾取され苗字すら持つことが出来なかった。これを、現代に置き換えてみよう。
まず、武士に当たるのが、政治家、官僚(公務員)、法曹会、公益財団法人など官職である。農民は、当時は地主が年貢を納めていたので小作は農民には当たらない、ということで、大企業である。工、商は、その下請け的一定以上の税金を納めることができる中小、零細、個人企業が挙げられる。その下は、何とか自力で生きていける平民がおり、社会のお荷物的福祉受益者がいる。
さて、こうのように比較してみたら今の社会の構図が中世の封建社会とまったく変わっていないことにお気づきではないか。民主主義、福祉とはキリスト教から来た西洋の考え方で東洋の果てにある日本では言葉だけで満足し、実態は搾取封建的民衆主義なのである。今も昔も官に楯突くものはしょっぴかれ、ひどい目に遇わされる。かといって、官は、税金で飽食三昧であり、おこぼれなど与える気もない。そして、官と中間の税金を納める額の高い一部のものは内通しており、悪だくみを企んでもたれ合いの関係にある。現代が近代化社会と言われることがあるが、馬や人力が車や機械に変わった程度である。
福祉にはさらに根の深い問題がある。福祉というと聞こえは良いが実は福祉ほど搾取に使われているものはない。官は福祉と言う名で金を分け与えたかのように見えるが、そこには地方公務員がいて、がっちり中間搾取している。福祉とはその程度のものと考えていた方が良い。
実態は、福祉住宅と言うぼろアパートに男女の差もなく入れられ、強制労働をさせられ、差額を補填されるにすぎない。福祉住宅は誰も知らないようなところにひっそりと建っており、風がすうすう通り抜けるようなオンボロアパートなのである。一応、役所が世話人になっているが、ほとんど来たこともないような到底一般人には想像できないような住居である。そして、死なない程度、死んでも言い訳できる程度の生活費を与え、野放し状態である。
病気になっても、誰も世話をしてくれない。光熱費は食費込みであるから、光熱費が払えないと無条件に電気、ガス、水道が止められる。食費を削るしかない。死んだら、孤独死扱いされ、犬、猫同様、殺処分されるだけである。
昭和は、労働搾取的封建民主主義時代であったが、平成は、労働もなく、ただの搾取封建的民主主義の時代なのである。官と大企業が税金を分け合って喜んでいるだけである。平民は、搾取され放置されて一生を終わる、何と中世と人間の営みは全く変わっていないのである。
お主も悪よのー、という高笑いが聞こえてきそうである。


# by katze210 | 2018-01-06 18:13 | 時事

2018年年明け早々大相撲会に激震が走った。貴乃花親方解任劇である。ここには、組織の論理を強制し、組織に逆らえないようにするために、組織から外れた人間を追放しようとするいじめの構図が伺える。企業の過労死や不祥事を見ても内部告発したら、閑職に追いやられるか辞職を強要され、いじめの対象となる。そこには組織内での上のやることに口答えするものは許さないというエゴイズム的感情が存在する。相撲協会理事会というのは、理事の集合体であり理事それぞれに上下関係があってはならない。理事長は代表者であって上司ではない。今回の日馬富士の暴行に端を発した事件は相撲協会の不祥事であり、本来なら理事長が最も大きい責任があり、理事長辞任という処分が妥当と思われる。しかし、理事は理事長に意見することすらできない。理事長に違憲したものは、ことごとくしっぺ返しを食らう。評議員も大の大人が揃いも揃って、歴史に残る大横綱をばっさりと切り捨てる。貴乃花が暴行を振るったのなら、解任は相当であろうが、態度が悪いであるとかは注意するか始末書一枚書かせれば済むことであり、処分に値するか極めて疑問である。そこには、相撲協会理事会の密室でのやりとりと評議員との見えない関係があると思われる。評議員は一般人で大横綱の偉大さを全く理解していない。むしろ、煙たがっているように見える。
結論から言えば、大の大人が寄ってたかって、若輩をいじめている、まさに世に存在するあらゆるいじめと同じ構図である。
理解でいていないのは、公益財団法人にあぐらをかく年寄り連中である。一体、誰のおかげで評議員は存在でき、お金が貰えるのか理解していない。大横綱がいてこそである。もはや、モンゴルに支配されている大相撲はプロレスや格闘技と同じで公益財団法人にあらず、税金は必要ない。伝統と格式は日本人の大横綱がいてこそであり、それを排除してしまったら、それは単なるショービジネスとなる。相撲協会とは自分たちの首を絞めるだけであることに気づかない愚かな人たちの集まりである。それを独占的に放映しているNHKと同様、愚かな団体である。
2018年も嫌なムードで始まってしまった。今年は、崩壊の年になろう。

# by katze210 | 2018-01-05 13:40 | 時事

2017年を振り返る

2017年の流行語に「忖度」が選ばれたが、自分の中では「国難」ではなかったかと思う。
国難とは、
 安保法制、共謀罪と2度の強行採決、
 森友問題に端を発し、家計問題へと発展した官僚の情報隠蔽、
 名だたる大企業の不祥事と過労死および情報の隠蔽、
 北朝鮮のミサイルの脅威
 臨時国会を開かず北朝鮮問題を利用した「国難」解散選挙、
 小池、前原の共謀による民進潰しと与党の圧勝、
 都民ファーストの弱体化、
 自然災害による被害、
 etc.
と非常に政治的な問題が多かった。これぞ国難と言わずに何と言えようか。
そして、何よりこれらの国難が顕在化するのが、2018年であろう。
アメリカが保護主義政策を採り、各国と軋轢を生み、中国、ロシアが軍事力を拡大し、NATO勢力に迫って来ている。中東は不安定化を増している。
そして、この国はさらに独裁的軍事政権へと歩を進めるべく憲法改正へと乗り出す。
温暖化による自然災害は年々増大し、貧困層はますます拡大する。それに伴い、少子高齢化の波が一気に噴出し、独裁政権の力が強まり、国はますます荒れるだろう。国は弱者を切り捨て、大企業を保護し、米国の圧力に追従するばかり。主権は失われやがて国家は崩れてゆく。
来年の流行語大賞は、「崩壊」、「自爆」になるだろう。


# by katze210 | 2017-12-29 11:04 | たわごと

○○協会はいらない

最近世の中を騒がしている協会と言えば、
   NHK(日本放送協)
   大相撲協会
である。
NHKは、受信料を毟り取るために裁判を起こしており、自らの姿勢を正すこともない。
相撲協会はモンゴルに屈してしまった。日本の国技、神事ではなくなり、単なる格闘技になってしまった。
この二つの協会に共通することは、団体の狭い論理に従い本質を見ようとしないことである。言い換えれば、自分たちは正しく、反対勢力は悪であるという考えである。
司法の判断は、協会に協力してその動きを助長している。
いずれも国の認めた団体であるから国が反対できるわけがないという、これも偏った論理による誤った判断である。
このままだと、司法が国を亡ぼすことになろう。日本は、中国と並んだ官の独裁国となってしまった。官に逆らうものは逆奥として不当に扱われる。
生活保護費の削減が決められ、生活保護受給者は人間らしい尊厳などない犬同然の生活を強いられている。
一体、この国民不在の国は何をどうしたいのかさっぱり分からなくなった。世紀末も近い。
社会は巡り巡って自分に還ってくる。すなわち、貧困層の拡大は人口減につながり、国がどんどん縮小し、力を失う。そうすると、ますます貧困層が拡大する。国の防衛を強化しても、国土は荒れ果て住む人はいない。何を守るというのか。
負のスパイラルはモラルハザードから生じているのに、自分が正しいという自分勝手な考えを持つ官が気づいていない。そのうち、自分たちのところに還ってくることも知らずに、愚かな国である。

# by katze210 | 2017-12-28 08:01 | 時事

自分の「好き勝手に書くブログ

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